昭和45年09月27日 朝の御理解



 御理解 第87節
 「腹は借り物というが、借り物ではない。万代の宝じゃ。懐妊の時は、神の氏子がわ  が胎内に居ると思うて大切にせよ。」

 腹は万代の宝と、限りないおかげの頂けれるものだと云う事でしょうね。いわば大地の様なもの良い例えば田地の様なもの。だからその良い田地だからと云うて放任しておってよかろう筈はない。そこが耕されなお肥料が施されれ、その上にそれぞれの種を蒔かせて貰う。そこから限りないおかげの道がある。来る年も来る年も、例えば一反の田なら田の田んぼの中から、限りないお米が採れるようなものでしょうね。
 ですからもう去年蒔いたけん、今年は蒔かんでよかろうと云う様な事があろう筈はない。毎年毎年正確にそれが繰り返されていくところに、毎年毎年限りない正確なおかげが受けられるのですよね。懐妊の時は神の氏子が我が胎内に居ると思うて大切にせよと。ほんなら蒔いたからとて、蒔きっぱなしではいけない。やはり芽を切る、いわばそれから、段々伸びて来ると云う、例えばお米稲ですかね、に致しましてもやはり八十八回も手が要ると云うことですね。
 米と云う字を八十八と書いてあるのは、その様に手が掛るものだと云う事なんです。そういう手を惜しんではです折角の、例えば実りと云う事にならない。それこそ懐妊したら神様の氏子が胎内に宿られたと思うて大事にして行かなければならない様に、例えば種を蒔かせて頂いたら、所謂神様の氏子云うなら神様の御物、御事柄と云う様にです、御物御事柄と御の字を付ける程しに、その一事一事が大事にされていく。
 その一事一事が大事に、所謂実意丁寧に為されて行く所にです、万代までの宝じゃと仰るようなおかげが頂けて来ると思うです。最近私が口を開けば、願え願えと云う事を皆さんに申します。何故願わなければならないかいや願うことが、神様がこんなにお喜び下さることだと。もう合楽はそこの所に信心がいわば成長して来て居る。願いの信心は信心の最高峰だと。所謂最高峰と云われる程しの信心にもう突入したんだと。
 勿論この願いの信心が一生がかりで突入しただけではない、それから繰り返し繰り返しのことが為されなければならないでしょうね。願いの本当の願いと云うか、それが願いが、例えば成就すると云った様な事までに、手を入れ念を入れていかなければなりません。昨日、来月の信心の焦点を頂きたいと、古賀さんが何時も賜わって居りますから、昨日、沢山、色紙ですね、短冊を持って見えられまして、これに書いて頂きたいとこう言うのです。昨日は、ちょっと私、昨日は伊万里に参りました。
 竹内先生の所に用がありまして。ですから発とうとしよる時でしたから、明日書いときましょうと云うて、その事を神様にお願いさして貰いよったら、天赦願と云うことを頂きます、天赦というのは、赦と云うのは赤いと云う字を書いて、こっちにこうあの許されると云う天赦、がんと云うのは願いなんです、だから現在のね、合楽の場合はもうそこに至っているんですよね。
 神様に許されて願う。だから如何に神様に許されて居っても、願わなかったら、云うなら、昔から頼まん事は神も仏も知らんと云ったような、俗な言葉が云う様なことを申しますが、最近その事をですねほんとに思います。願わぬ事は神も仏も知らんと。例えば今迄は願わんでも云うなら頼まんでも、私共の心の状態と云うものが所謂和賀心になって来る時に、願わんでも頼まんでも物事が段々成就して来る、おかげを受けていく。だから実になんと申しますかね、上品な様な感じでしたね。
 いわゆる私共二十何年間、稽古して参りました信心はもう何処へ行っても、だから通用する訳です。いわゆる、世界の市場に出せるのはこれより外にないと、またこれなら誰でもが合点する。信心のない者でもこの所をずっと説明しますとね、説明すると誰でもが分かる。と云う様ないうなら普遍性を持ったものですね。成程天地と私共との拘り合いと云うものを先ず説いて、それを親子の関係なら親子の関係を以って説いて、しかも私共が親の一番喜んで下さる、私共が幸せになると言う事。
 それは私共の心自体が救われて居らなければ、助かっておらなければならない。ほんなら私自体が助かると云うことは、結局は私自身が和賀心になるより以外にない。その和賀心を具体的に私共が稽古させて頂いたのが、いわゆる限りなく美しゅうなりましょうとか、豊にとか大きゅうなろうとかと。又その手立てとして、とにかく成行きを大事にして行こうと云う事だったですね。御事柄を大事にして行こうと。
 そう言う所にです、親の喜びがあり神様のに喜びがあり、私共の心にも期せずして起こって来る感動というかね、いわゆる喜びのいわゆる感動と云った様なものがね、おかげを受ける、おかげをキャッチすることの出来れる元。いわゆるおかげの受け物が、その様にして出来る。それを私共は幸せと、人間の幸せとはそこにあるのだと。どの様な場合でも、有難いなあと言うて居れる程有難い事はないと云うのである。
 ほんとに信心も出来んのに、この様なおかげを頂いて、勿体ないなあと云う事になるのである。その有難いとか、勿体ないと云うその思いで日々生活させて頂く。成程こういう状態で有れば神様は限りなく、おかげを下さるもんだと、云う体験が生まれて来るから、先の事の不安がなくなる、心配がなくなると云う一つの信心の所謂おかげの原則とでも申しましょうかね、様なものをしっかり、云うならば稽古をして来た訳ですね、私共はですから、そういう私共二十年間稽古をしてきた様な事柄だったらですね。
 もうそれは私は、世界中の人達に話せば分かる、その事を噛んで含める様に教えて上げれば分かる。そういう可能性を持って居るのが和賀心だと。けれどもその願って願ってと、何でも願ってと云うのはね、これはもっとそれを分からせることは大変至難である。難しい。いわゆる私共二十何年間、その事に取り組んで来てですら、まだ願うと云うことの実感と云うものが湧かないくらいでしょうが、お互いが。
 だから是はとても只の説明だけぐらいの事じゃ分からない。云うならその和賀心の基礎と云った様なものがね、しっかり出来さして貰い、稽古さして貰いその事を願いとしてね、その事がいわゆる基調となっての願いでないと。何故願わなければならないかと、何故願うことが神様がお喜びかと云う様な事でもですピンと来ない。と云う程しにだから願いの信心と云うのは、やはり難しいのです。
 とても私共が夢にも思わなかった願いと云うことがです、その様な大変な意義を持つものだと、だから合楽で、本気で例えばその人間の、いわゆる神様が願うて下さる様な人間の幸せ、幸福と云うのはもう和賀心にあるのだと。和らぎ喜ぶ心で日々生活出来る人間が出来て行くことを、神の願いとして居られる。そこでそういう例えば、人間氏子がです、ほんなら、私だけおかげを頂いとればよいと云うことではない。
 いわゆるマイホーム的なおかげだけではいけないと。それが積極的にです、神様のもう一つ奥の願い神様のもう一つ、是は金光大神に頼まれたように、神頼みをなさった様に「世間になんぼうも難儀な氏子あり、取次助けてやって呉れ」と教祖金光大神に頼まれたような願いの真意と云うものがです。合楽の例えば二十年間稽古させて頂いて、成程人間の幸せ幸福と云うのは、ここにあるのだと分からせて頂いた事になる。
 その一線上に、例えば出れと最近言われてくらいですからね。とそこのところが分からせて頂いた、例えば人間氏子なら合楽の信者氏子に対してです、神様がそういう願いを吐露して居られる。そこからその事を呼掛け、又は神頼みをなさろうとしておる雰囲気があると云う事なのです。そこでほんなら私共がです、いわゆる神様の私共が、いわゆるマイホーム的なおかげを頂いて助かると云うだけではなくて。
 そういうおかげを受けた人が、世間になんぼうも難儀な氏子があるのですから、その難儀な氏子に取次させて頂ける程しのです、おかげを頂く為には、只、私がおかげを頂いて居ればよい、私が喜びの生活、安心の生活をして居ればよいと云う事ではないと云う事が段々分かってきた。そこで現在の様な程度のおかげでは、それはそういう御用になって来ないから、いわば世のお役に立ちたいと云う事が、本当の意味では出来ないから、よりもっともっと、云うならば二倍も三倍ものおかげを頂かせて貰うてです。
 二倍三倍のおかげを頂いたら、次には五倍も十倍も、そのおかげを頂いたら、又二十倍も三十倍ものおかげを願いに願っておかげを頂いて行き。そういうおかげをです、頂いて行く一つの段取りとでも云おうか、所謂そういうおかげの頂けて行く。こりゃもう生涯、段々このおかげは、だから雪だるまを転がして行くように、大きゅうなって行くおかげの、その段取りと云うものがね、出来て行かなければならない。そ
れをですね、私はまあ云うならば、ほんとの意味に於いての、神の願い、人間が和賀心に依って幸せになる。だから幸せになったら、なっただけではいけない。そこに、いわゆる神頼みを受けた思いでです、その心を、云うならば、そういう幸せを、難儀な氏子の上に広めて行く。そこに例えば、私共の信心のおかげの夢と云うものは、もうこう膨らんで来るわけなんです。それこそ、佐田さんじゃないけれども、胸がわくわくする程しの思いで、そういう思いが膨れて来る。
 こういう有難い信心を世界の、云うなら市場にでも出させて貰おう、世界の隅々までこういう有難い御教えを、有難い生き方があると云う事を教えていきたいと云う、いわゆる熱願と云った様なものがです。私共の心の中に育って来なければならない。そういう願いを、私は今日は大願と頂いております。大きい願い大願成就と申しましょう。佐藤宿老ですね、先代、三代金光様の奥様のお父様に当たられる。
 いわゆる教祖の時の三羽烏的な、大変偉い先生でありますね。近藤、白神、佐藤と云われて、いわゆる教団の発展の為に、又、教団が出来ることの為に、大変にご尽力なさったお方です。佐藤宿老は大体は元は大工さんであった。それが何か怪我をされたことが大変悪質な怪我、難儀なことになられて、それを願いに出られたのが初めてだと言われております。大変大工さんと言いながらお勉強が好きで。
 まぁ佐藤一門が学者ばかり、沢山出来て居られます様に、大変やっぱり頭脳の明晰な方であったらしいですね。天皇陛下に御巡講義をなさる程しに、やっぱり学問を身につけて行かれたんですからね。随分のあちらに私は、行った事は有りませんけれども、神徳書院といって、大変な大きな所謂図書館です、今で言うなら。があってねそこには、まだ教祖のいろんなその、言行録と言った様なものが、もう山積みされていると言う話ですね。その佐藤先生が、まだ一信者で、初めてお参りになった時にですね。
 教祖様が「氏子信心せよ。大願成就させてやる。」と云う御裁伝を下して居られますですね。氏子信心せよ、大願成就させてやると。だから、その大願と云うことは、例えば、自分は大工さんですから、当時のね、いわゆる現代の左甚五郎を目指して居られた訳なんでしょうね。だから自分としては、それこそ左甚五郎のような名人の大工になろうと思うて居られたかも知れません。
 そういう願いが成就するのだろうかと思われたかも知れんと思いますね。ところがどう言う事かと云うと、それこそ教団がいわゆる、教団としての設立が出来る程しのことが、佐藤宿老の手に信心に依って努力に依って為された。その事が大願であったでしょうね。いわゆる神様の願い大きな願い。そういう願いが佐藤宿老という一人の方の信心から出来るようになってきた。そこでその私共がその願いと云えば何でもの願いと、今私共が申しておりますから、何でもかんでも願わにゃならん切実に。
 しかも願ったが最後、どうでもこうでもと云う願いにならなければいけない。昨日伊万里の竹内先生の所に参りました。容器を今度御本部へ参ります。金光様があのようにしてお病気で入院しをなさっておられます。それでそのお見舞いに行かなければならんのです。豊美の所から言うてまいりました。その積もりで出て来てくれと云うことでした。お見舞いに行くて、その只、口だけのお見舞いでもいけませんから、と云うて金光家にお見舞いを持って行く。
 お金でもどうもいけんごとあるし、ほんなら果物ども持って行く様な事でもいけないごとあるし、まぁ色々迷うて皆んなに相談させて頂いたら、陶器類かなんかどうでしょうかと、金光様大変陶器類が大変詳しくて、又大変お好きであると聞いて居りましたから、それはよか考えじゃけん、そんなら唐津辺りでも行こうかと云う事になっとった。ところが唐津に行く前に、伊万里に竹内先生に話ておきゃ、色んな手立てがあるかも知れんと云うので、秋永先生先日から電話でお願いしていてくれとった。
 それで二十六日が、半日昼から空いてるからおい出下さいと云う事であったから、昨日、秋永先生達外五、六名で参りました。ですからこちらからのいわば用件でした。まあこれはついでながらではなくて、今日のまぁ云うなら一つの眼目にもなる所ですから、聞いて頂きますけれども。ただあちらに行って、只もう本当に恐れ入って仕舞いました。繁雄さんじゃなかばってん、もう恐れ入りました、恐れ入りましたち繁雄さん言いよんなさいましたが、本当に恐れ入って仕舞うばかりでした。
 私どもが参りましたら、もう参ったらすぐ座っても良い様に、あちらの御信者さん方がみんな奉仕に見えて居られまして、もうお食事の準備がちゃんと出来ておりました。もうあちらへ着いたのが一時過ぎだったでしょうか。ですから、とても窯元を巡るというか、その買わせて頂く為に、見て回るなんてん、時間がもう本当にまあ伊万里を見て、唐津まで行く積もりだったんです。
 とてもとても二日がかりでなからにゃ行かれるこっじゃない事を、まあどうしてあんなふうに事だったろうかと私は、思いましたけども、そこのところちゃんと考えてあったでしょうね。お食事済まさせて頂いたら、そこのお婆あちゃまが、次の部屋の襖を開けられましたもん、親先生ちょいと見て下さいと。見てからびっくりしました。あっちこっちの窯元からね、立派な陶器類が、全部集めてあったですから。
 一部屋にいっぱい。だからそれからご覧になって、良いのからと云うことでございました。ご自分は、市長に当選された時に、いわゆる、あちらこちらの、窯元辺りから贈られたその、立派な陶器類が沢山出してありました。それはもうみんな持って帰って下さいと、もう家にいらないから持って帰って呉れと言われる程しに沢山出してありました。まあ実は、その中から頂いてきた訳でございますけれどもね。
 もう何時もの事ながらです、それこそ繁雄さんじゃないけれども、恐れ入って仕舞いますと云うことでございましたね。それで結構もう一杯でした。昨日土居の共励会に、もうぎりぎり滑り込みで皆さんがあちらに行かれるくらいの時間にしか帰って来れませんでした。その外の所に回らなくても、竹内先生の所だけで。で、あちらで折角親先生が見えとるから、一口でもお話を頂きたいと云われるので。
 実はお話をさして頂いたんですけれど。私はそのお話の中に、現在合楽で願い、願うと云うことを言って居る、その内容の事について、色々そして願うならばですね、どうでもと云うことのおかげを頂かなければならんと云うて、昨日久富正義さんが、昨日一昨日、お届けをして居った事の例を話したんです。今迄正義さんがお願いして、どうでもこうでもと云う様なお願いをしたことがないです。
 いわゆる正義さんに限らず、誰だってそうだったですよね。もうとにかく成行きを大事にして、お取次は頂いて居る。けれども神様が下さるのであるから、それから先は、右左は神様にお任せをすると云うのである。その前日からもう業者達の集まりで、仕事を貰う事の為に、すったもんだして、とうとう一晩で解決せずに丁度その前の、昨日の晩ですたいね、夕べだから昨日の晩、又一日がかりでそれからそういう寄りが久留米であっとったのから、又、昨日の朝の御祈念に出てきてからです。
 すらっと後から正義さんから聞かせて頂いたんですけれども。まあだ昨日の朝、ここへ出てきた時までは決定していなかったんです。ところが今日は、自分も、親先生のお供をして伊万里に行かにゃならんから、親先生、どうでもこうでも、今度の仕事だけは頂きたいと思うとこう言うのである。だから、どうでもこうでも、ほんなら私もお願いしようと言うて、どうでもこうでもでお願いさして頂いた。
 もう御祈念から帰らせて頂いてから話は瞬く間に決まった。二日間すったもんだしとったと云う様にです。どうでもこうでもと云う姿勢を、こちらが作れば必ずおかげが受けるけれどもです。どうでもこうでもと口では言いよるけれども只ね、只心からどうでもこうでもの願いに立ってなかったらおかげにならん。だからそういうねもう何時までも時間かける訳にいかん。もう十時から親先生のお供して伊万里に行かんならん。
 だからそれまでにはどうでもこうでも解決しなければならんと云うのですから。おかげを頂いたと云う話を、あちらでさして頂いた。だから例えばそういう願いはね、今日私が言う大願と云うことに対する、云うならば小願とでも云うことになるでしょうかね。小さい願いなのです。けれどもその小さい願いでもです、願いと云う事の、最近言われて居るところを一つの基調としての願いを。
 どうでもこうでもと願うて行かなければならない。そういう小願、小さい願いと云うことなんですけれども、ほんなら、大願と云った様なものがですよ、どうでもこうでもと願うたら、もう明日おかげ頂いたと云う様な事があろう筈がないのです。それは今日八十七節で頂きますようにです。それこそ八十八回の手数がかからなければ、いわば籾お米と云うことにならない様にです。
 いいですか皆さん、皆さんもどうでもこうでも大願成就のおかげを頂かにゃならん。その為に、その中身をですね、いわゆる、実意を欠いた事をしてよかろう筈がない。もう五十回ぐらいで、最近良かろうぐらいでもいかん。まあ云うならば、今日はここ八十七節と云うけれども、その八十七回でもいかん。やっぱり、手数を入れるとこだけは、抜かさんように欠かさんように、きちっとしたおかげを頂かにゃいけん。
 昨日、竹内先生の所に参らせて頂きましたら、昔、ここから出ましたカレンダーが掛かって居った。丁度、昨日、二十六日のところには、白足袋に袴を履いた様な信心をせよと。よりきちっとした信心をせよと云うこと。浴衣がけでおるとどうしてもだれる。例えば羽織、袴白足袋履いて、こうしとりゃ横座りするわけにはいかん。けれども浴衣どん着とるなら、長うなったちゃよかと云う感じです。どうしてもだらしなくなる。だから、いわゆる、きちっとした信心をせよと。
 そこからきちっとした云うならおかげが受けられると云った様なことが、そのカレンダーに書いてあったが、もうまさしく私は、竹内先生の場合は、そういう信心を一家を挙げてなさる方だと思いますね、竹内先生だけじゃなくて。もうお婆ちゃんは勿論のこと、竹内先生ご夫婦は皆さんご承知の通り、もう子供達までが、そういう信心をきちっとするでしょうが。例えばこうと決めたら、
今大学に行ってる恵美子さんなんかの場合なんかは、もうそれこそ、学校はポンと蹴ってからでも、琴の御用にやって来ると云った様な神様の方へ向けてのきちっとした信心の、云うなら節度を守り抜いて居ります。どんなに良い種が蒔かれましてもです、ほんなら子供がです、子供が胎内に宿った、なら、それを大事にして行かなければいけません様に、やはりそれには、さあ宿ったから。
 神様にお願いをしたっちゃから、どうぞもう二月で出来た、三月で出来たと云うことはないでしょうが。お願いをする、種が降りる、それが十月十日という、きちっとした神様の働きのもとに出産と云うおかげが受けられるように、私どもの云うなら、大願と云ったような行事のおかげを頂くことの為にはです、私どもが、そういうきちっとした信心修行と云うものが求められることはもう勿論の事なのですよ。
 惜しい。もう八十回も稲が、あれほど良い信心が出来ているのにと云うのが、くるっとまだ、こげんお願いしたっちゃといった様な気持ちで、そこんところを粗末にする人が沢山ありますけれどね。これでは惜しいでしょうが。そういう大願云うなら神様が私どもの上に、本当に下さろうとしておるおかげなんです大願は。佐藤宿老は、それこそ、その時代の、いわゆる左甚五郎を目指すんです。
 にならせて頂くことを大願と思われたかも知れん。教祖様はその時に、大願成就をさせてやろうと仰ったが、それは神の願いであった様に、そういう願いがです、私どもの上に成就して来ると云うおかげを私は頂いていかなければならない。今の合楽の上には、いわゆる天赦願、神様が許されて、私どもがもう何なりとも、云うなら実意を以って願えばです、牛馬の事に至るまで、何なりとも願えと云う、その願いを受けて下さろうとする体勢を示して居って下さる。
 そこで願わなければならん。そんなら願うならば、どうでもと云う願いに立たなければならん。大願成就と云うことになってくると、それは私共は節度のある、きちっとしたそれこそ羽織袴に白足袋を履いた様な信心をさせて頂いてこそ、初めて大願と云うのは成就するものだと云うことなんであります。87節はこれは女の方の云うならば懐妊、又は無事安産出産のおかげを頂くことの為に。
 神の氏子が胎内に宿ったと思うて大事にせろと云う意味の事を教えて居られますけれども、まこの87節から。今日私が皆さんに申しました様な事もです、又竹内先生の所の事を例を取ってお話致しましたがです。成程着々としてです着々として神様の大願が、竹内一家の上に現れておる、是からまだ限りなく現れて行くであろうと云うものを感じます。それには、竹内先生辺りの所謂実意丁寧な行き届いて御座る。
 云うならばきちとした信心は、まぁ云うならば合楽に欠けて居るもの、そういうものを持って居られる、ほんとに手本にしなければならない。私共もあれに神習わせて貰わなければならんと云うことを、それを竹内先生にお目にかかるたんべんに、それは思うことでございますけれどもね。そういう信心を一つ本気で身につけて、小願もさることながら、本当の大願が成就して行くことの為にです、節度のあるきちっとした信心をさせて頂きたいと思いますね。
   どうぞ。